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菅直人氏と吉田昌郎氏とグスコーブドリの伝記

2011122

宇佐美 保

 

朝日ニュースター「パックインジャーナル」(福島第1原発事故がらみの1119日の放送)で、山田 厚史氏(AERAシニアライター)は次のような発言をされました。

 

……「菅降ろし」の話がありました、……、唯一、これは絶対評価しないといけないと思うのは、1号機が爆発した後、東電は撤退するといったわけですよ、それで、皆これでどうしようもないから逃げるといったのを、(菅さんは)“逃げちゃだめだ”と言って、“ともかく留まれ”と言って、あそこまでで済んだでしょう。あの時逃げていたら誘爆している可能性だって十分あるし、もう首都圏に僕たちは住めなかった状態だって起きている訳です。あそこで東電は逃げたいといったわけですから、逃げたいといったところを許してはいけないと思いますね。

 

この山田氏の発言は、菅さんへの感謝、そして、東電への非難であると共に、今回の原発事故以降、「東電(原発推進派)の走狗」として「菅降ろし」に力を傾注した川村晃司氏(テレビ朝日報道局コメンテーター)に反省を促す為の発言と私は受け止めました。

(拙文≪川村晃司氏は東電の走狗に変身!?≫をご参照ください)

 

 ところが川村氏は次のように語り、反省するどころか、山田氏の発言を無視して、いい子ぶってました。

 

メディアが中に入った時にも吉田所長は“自分は命が危ない危険だと思った事がある”、だけど、原発の労働者が3時間で1年分(100ミリシーベルト)の放射能を浴びているが、或る意味で、原発労働者は使い捨てにされている件を、政府は東電はどう考えているのか。

 

誰しも間違った方向に走ってしまう事は多々あるものです。

でも、誤りに気が付いたら反省すべきですし、謝罪すべきと存じます。

(それが出来ない川村氏は「器が小さい」と言う事なのでしょうか?)
 

 私は、山田氏の御見解と共に、(何度も書いていますが)3.11の事故の後、直ちに福島第1原発に飛んだことに最大級の敬意を表し感謝いたしております。

(この件に関しても、川村氏は、“東電の作業の邪魔をした”旨の発言をして「菅降ろし」に一肌も二肌も脱いでおられました)

 

 人は誰しも沢山の間違いを犯します、しかし、誰もが感謝する様な善行を生涯に1度目も行えたらその方は実に立派な方と賞賛し感謝してしかるべきと私は常々思っています。

 

 そして今回の「菅直人首相(当時)」と「吉田昌郎福島第1原発所長(当時)」の行動こそは、誰もが感謝しなければならない善行と存じます。

 

そして、菅さん、吉田所長の今回の行動から、宮沢賢治の作品グスコーブドリの伝記」の次のような記述を思い起こすのです。

 

……「先生、気層のなかに炭酸ガスがふえて来れば暖かくなるのですか。」

「それはなるだろう。地球ができてからいままでの気温は、たいてい空気中の炭酸ガスの量できまっていたと言われるくらいだからね。」

「カルボナード火山島が、いま爆発したら、この気候を変えるくらいの炭酸ガスを噴くでしょうか。」

「それは僕も計算した。あれがいま爆発すれば、ガスはすぐ大循環の上層の風にまじって地球ぜんたいを包むだろう。そして下層の空気や地表からの熱の放散を防ぎ、地球全体を平均で五度ぐらい暖かくするだろうと思う。」

「先生、あれを今すぐ噴かせられないでしょうか。」

「それはできるだろう。けれども、その仕事に行ったもののうち、最後の一人はどうしても逃げられないのでね

 

それから三日の後、火山局の船が、カルボナード島へ急いで行きました。そこへいくつものやぐらは建ち、電線は連結されました。

 すっかりしたくができると、ブドリはみんなを船で帰してしまって、じぶんは一人島に残りました

 そしてその次の日、イーハトーヴの人たちは、青ぞらが緑いろに濁り、日や月が銅《あかがね》いろになったのを見ました。

 

 菅さんは、事故直後の原発に飛んだ行為も含めて色々と非難中傷されましたが、私は、この福島へ飛んだ行為は、彼が日本を救おうとした英雄的行為と感じ入っています。

その後を、菅さんの後輩の吉田所長が「ブドリ」の役目を引き継いでおられたように思えてなりません。
(更に付け加えさせて頂きますと、賢治は「気層のなかに炭酸ガスがふえて来れば暖かくなる」との知識を有していたのです)

 

 

 更に、次のような場面からは、原発推進政策を遂行してきた自民党、又「原子力村」が頭に浮かんできます。

 

……「この野郎、きさまの電気のおかげで、おいらのオリザ、みんな倒れてしまったぞ。何してあんなまねしたんだ。」一人が言いました。

 ブドリはしずかに言いました。

「倒れるなんて、きみらは春に出したポスターを見なかったのか。」

「何この野郎。」いきなり一人がブドリの帽子をたたき落としました。それからみんなは寄ってたかってブドリをなぐったりふんだりしました。……ブドリのからだじゅうは痛くて熱く、動くことができませんでした。けれどもそれから一週間ばかりたちますと、もうブドリはもとの元気になっていました。そして新聞で、あのときの出来事は、肥料の入れようをまちがって教えた農業技師が、オリザの倒れたのをみんな火山局のせいにして、ごまかしていたためだということを読んで、大きな声で一人で笑いました。

 

 更に菅さんの「脱原発」への思いが、次の一節に生かされたら!と思わずには居られません。

 

それから四年の間に、クーボー大博士の計画どおり、潮汐発電所は、イーハトーヴの海岸に沿って、二百も配置されました。

 

 どんなに菅さんが無能呼ばわりされても(実際に無能であったとしても)、私は原発に直ちに飛んだ、その一点だけで菅さんを素晴らしい首相であったと感謝しておりますし、首相であり続けて欲しかったと今も思っているのです。

 

 

(補足)

 

 冒頭の山田氏の発言を次の読売新聞( 98日)の記事で補足させて頂きます。

 

 読売新聞のインタビューで枝野幸男前官房長官は7日、東京電力福島第一原子力発電所事故後の3月15日未明東電の清水正孝社長(当時)と電話で話した際、作業員を同原発から全面撤退させたい、との意向を伝えられたと語った

 

 菅前首相はこの後、清水氏を首相官邸に呼んで問いただしたが、清水氏は今後の対応について明言しなかったという。

 

 このため、菅氏は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と幹部らに迫った

 

 枝野氏は菅氏の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間はあの人が首相で良かった」と評価した。 .

 

更には吉田所長(当時)の行動に関して『週刊現代(2011.4.9号)』から次を抜粋させて頂きます。

 

14日時点では、社員と協力会社件葉月合わせて約800人が残っていたが、15日早朝の吉田昌郎・所長の決断で社員67名、協力会社4名を残して、全員が第二原発に退避した。総勢71名。

これが最後の最後まで原発を支えた、いわゆる「フクシマ50」のメンバーである

 再臨界寸前の原子炉を相手に、東京電力福島第一原発に所属する社員たちは悪戦苦闘していた。

……

「フクシマ50」たちが立てこもる免震重要棟は昨年完成したばかりの最新設備で、放射能の侵入を防ぐ能力があるが、それでもかなりの量の放射線を浴びて交替せざるを得なくなってきている

 

 この最後の抜粋部分から、「吉田昌郎所長(56)が病気療養のために121日付けで所長の任を解く」との東京電力(1128日)からの発表が気がかりになります。
早期のご快復をお祈りいたします。



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